沿革
1982年 | 建築家市川皓一を中心に<青ヒバの会>発足。 青ヒバの故郷、青森と首都圏を結ぶネットワークの始まり。 「産直住宅」のはしりとして、また健康・自然住宅として各方面から取材を受ける。シックハウスの実体は表面化していなかったが、当時より薬害の無い住宅を目指して活動。 |
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1983年 | 第1回青ヒバの天然林を訪れる「森林浴ツアー」開催。 |
1984年 | 「青ヒバの家」の構造および完成見学会を開始。 雑誌「建築知識」「住宅新報」「ニューハウス」などの取材を受ける。 |
1985年 | 首都圏を初め大阪府豊中市を含め「青ヒバの家」が13棟完成。 |
1986年 | 林野庁より「国産材の住宅展示場」出展の打診があり、準備に入る。 |
1987年 | 銀座「長谷川画廊」において、初めての宣伝活動。 銀座4丁目付近で青ヒバのカットサンプルを配るが、20人に1人くらいしか、その存在が知られていなかった。(現在では20人の内18人は知っている) |
1988年 | 東京都江東区潮見に開設した林野庁管轄国産材による住宅展示場(ウッデイランド)に出展開始。 リーフレット「第六感の住まい」発行。 |
1989年 | ユーザー会員の募集を開始。定期的に住まいの見学会やセミナーおよび展示場イベントに取り組む。 「ヒバ通信・ばふら」を年4回発行開始。 展示場にてセミナーを年2回開始。 |
1990年 | 「住宅建築」をはじめ多数の住宅雑誌、新聞、テレビ(渡部篤の建物探訪で断続的に4回)などの取材を受ける。以後、モデルハウスを中心に活動。 |
1995年 | 株式会社青ヒバの会ネットワークとして発足。 <青ヒバの会・京都>発足。 会員数延べ500人を突破。 オール国産材を目指し、杉、赤松の産地直送をも開始。 |
1998年 | パンフレット「実例集」発行。 |
2001年 | モデルハウスを撤収(林野庁の展示場撤退に先立ち)。 |
2002年 | <青ヒバの会>ホームページを立ち上げる。 パンフレット「木の家ぐらし」発行 東京12CHのシリーズ「完成ドリームハウス」で全国に放映される。 |
2003年 | 小セミナー開始(少人数で、じっくりと住まいづくりを勉強できると好評)。以後年2回(1クール4回のテーマで)開催。 構造見学会および完成見学会を、それぞれ年3回ほど、小セミナーは年2回を定期的に開催。森林浴ツアーも続く。 |
2004年 | ユーザー会員800人を突破。 |
2005年 | 天然材青森ヒバを5割以上7割使用し、さらに青森県産材の広葉樹や、杉・赤松を取り込み、国産材による健康な住宅を造り続け、シロアリ駆除剤をはじめ薬品に冒されない「青ヒバの家」が250棟あまり完成している。 |
2010年 | パンフレット「住み継れる家づくり」発行 |
2011年 | 東日本大震災にみまわれ、震災における住まいの在り方を再考する。「青ヒバの家」プロトタイプの研究を始める。 「軽費老人ホーム」を木造で造る事の運動。 電力を全て太陽光発電でまかない、屋根パネルを搭載する住まいを考え実施を進める。 震災発生のため、29年とぎれる事なく続けてきた「青森ヒバの天然林を訪れる森林浴ツアー」を中止。 |
2012年 | 首都圏からの第二居住地としてのスタイルを提案(八ヶ岳富士見高原リゾート)。 「眺(のぞみ)」「縁(えにし)」「宙(そら)」の三つの型を展示。 かねてより参画していた森の駅推進協議会の住宅部会が「森の駅発/元気木の家研究会」として立ち上げる。 |
2013年 | <青ヒバの会>ホームページを全面改訂、より見やすくなったとの評判。 青森ヒバ材の買付予約を平屋(8割がた青ヒバを使用)にて実施。 |
2014年 | 「森の駅発/元気木の家研究会」のホームページ上で本物の木の家の見分け方を五箇条にまとめ告知。 家族構成の変化などに伴う、15年以上経た<青ヒバの家>のリニューアルが増えてきた。 |
2015年 | 国産材と健康素材で包む「防災健康シェルター」の具体化に向けて始動を開始する。 |